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- 羽黒(中世)とは
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羽黒(中世) 戦国期に見える地名高野郡のうち天正6年と推定される3月27日の岩城常隆感状写(新編会津/県史7)に「竹三為助勢被打越,然処に羽黒之城代越前方,両人致討捕申手柄」とあるのが初見で,水野大学・竹貫三河守に宛てて石川・岩城勢と白川結城勢との合戦に関わる感状を出している天正17年と推定される7月6日の佐竹義久書状(秋田藩家蔵安藤文書/県史7)には「南郷惣之足軽いつものことく催促可然候,手つもり之儀者赤舘・寺山・羽黒辺之衆をも一手ニ可然候」と見える天正18年と推定される4月9日の伊達政宗書状(浅川文書/県史7)には「南郷人衆其地へ相動候所ニ,則遂一戦羽黒之城主為始五十余人打取候」とあり,浅川次郎左衛門尉の佐竹勢を迎撃し,羽黒城主以下50余人を討ち取った功を褒めているこの時の城主は石川近江であった「白河古事考」には羽黒館などの事として「南郷塙村羽黒館,天喜二甲午年,源義家朝臣始て築給と云,関物語に永正二年佐竹氏の族大塚氏,佐竹を背て結城に属して此城に居す」とある羽黒城跡は,中通り南部,渡瀬川・川上川・久慈川に囲まれた羽黒山(364m)に位置する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」