ケータイ辞書JLogosロゴ 迫間村(近世)


愛知県>清洲町

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国海東郡のうち。当村によって春日井郡清洲村に新田が開発され迫間分と称した。「徇行記」には,「此村中ニハ農屋ナシ,戸口ハ清洲迫間分ニアリテ清洲本郷ニ属セリ」とあり,清洲村へ集落が移転したと思われる。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに154石,「旧高旧領」250石余うち15石余は神明社領。「寛文覚書」によれば,本田の概高222石余,田5町余・畑5町余,ほかに概高13石余の新田,家数46・人数288,馬7。なお,神明社領20石余が当村に,15石が阿原村として書き上げられている。「徇行記」によれば,新田を除いて一円給知で間宮外記ら給人6,家数23・人数104,清洲宿の助郷村。神社は,八幡・神明・天王。寺院は,曹洞宗東勝寺・真宗大谷派正願寺。明治12年,清洲村の一部反別8町余,戸数30・人口138が当村に編入,当村の一部反別8反余が清洲村の一部となる。同22年白鷹村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360194
最終更新日:2009-03-01




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