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羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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羽根村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島北西部,伊勢湾に面する地名の由来については,丘陵末端の端根からきたものとか,古くから良質の粘土を産し,埴【はに】として瓦原料で有名であることを物語るともいわれている尾張藩領横須賀代官所支配全村蔵入地村高は,「寛文郷帳」407石余,「天保郷帳」416石余,「旧高旧領」439石余「寛文覚書」によれば,本田の概高422石余・反別39町余(田25町余・畑14町余),新田の概高2石余,反別は畑のみ4反余,家数90・人数464,牛馬25,社寺は稲荷社,臨済宗妙心寺派普明院・桂林寺がある天保年間と推定される村絵図をみると,中央に羽根の一本松といわれる老松が描かれている延享3年の検地で寅新田8石余が加えられ,続いて辰新田2石余・子新田3石余も検地されている村内,特に普明院の付近から良質の瓦土が産出し,この土で焼いた瓦は青木瓦と呼ばれ月明の夜には白く輝くといい,多くの瓦師も住んでいた明治8年の共和学校分校設立届によると戸数90同11年金沢村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
羽根村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国池田郡のうち坂内川に合流する大谷川と黒津谷の間に位置する大垣藩領広瀬村が正保ごろ西村・北村・羽根村の3か村に分村して成立村高は「正保郷帳」では113石余,うち田5石余・畑106石余・山年貢7斗余・紙桑木高3斗余綿・漆などを貢納「天保郷帳」の村高132石余明治4年岐阜県に所属同5年村明細帳では,田15石余(反別1町2反余)・畑66石余(反別8町2反余),ほか新開地と思われる畑高23石余(反別3町7反余),家数85・人数422・牛36匹農間には男女とも養蚕や山稼ぎをした冬期紙漉をする家は5戸寺社は広瀬神社・曹洞宗岩泉院明治8年広瀬村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」