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- 半原村(近世)とは
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![]() | 半原村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国土岐【とき】郡のうち土岐川右岸の山丘上に位置する古代東山道,中世鎌倉道の沿道に当たり,西の日吉の宿と東の釜戸【かまど】宿の半ばにある原野に由来する地名と伝える土岐氏滅亡後家臣たちが土着開拓した地といい,「半原7姓・7井戸・7垣内」と伝承されている天正期には森長可・忠政領,関ケ原の戦以後尾張藩付属の木曽衆千村次郎右衛門(600石)知行地村高181石余,田畑計16町8反余年貢率は延宝3年45%,天明元年・文政9年・天保7年・安政3年42%宝暦6年の戸数60・人数260中山道と下街道を結ぶ中街道の沿村で,中山道大湫【おおくて】宿の加宿,細久手【ほそくて】宿の助郷鎮守は日吉神社同社は天文13年の棟札を有し,また同社に奉納される半原あやつり人形浄瑠璃芝居は宝永年中淡路から伝来したものという曹洞宗福寿寺があったが,明治4年村中総離檀,神道に改宗して廃寺明治4年岐阜県に所属同5年の戸数65・人数343同年勧学義校が開校同8年日吉村の字となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」