ケータイ辞書JLogosロゴ 東上里村(近世)


愛知県>岡崎市

江戸期〜明治11年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうち矢作【やはぎ】川と青木川の合流点付近元和元年上之里村のうち伊賀八幡領が分村して成立したというただし,当村名は江戸期の郷帳類に見えず,「旧高旧領」に見える神領上里村とも称した伊賀八幡宮領,明治2年からは岡崎藩領村高は,「旧高旧領」123石余嘉永5年の御収納米并払米帳では米42俵,慶応2年皆済目録では定免米21石余を上納寛延3年上之里村と地境争論発生寛政元年の水害では全田畑が州入となり,流失家5・潰家3(水難届)明治2年の家数12・人数39(伊賀八幡領四ケ村書上帳),同7年の戸数12・人数40(額田郡誌)同11年上之里村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360477
最終更新日:2009-03-01




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