- JLogos検索辞書>
- 東端村(近世)とは
「東端村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
東端村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島の南部,伊勢湾に注ぐ内海川左岸に位置し,丘陵地が多い地名の由来は,内海川の東にある集落という意味から付けられたという尾張藩領横須賀代官所支配村高は,「寛文郷帳」174石余,「天保郷帳」171石余,「旧高旧領」195石余「寛文覚書」によると,本田概高167石余,反別17町余(田4町余・畑13町余),家数108・人数663,牛馬11神社は権現(現熊野神社)と高宮社寺は浄土宗慈光寺・曹洞宗宝積院・真言宗泉蔵院がある「徇行記」に全村蔵入地,家数186・人数759,牛馬14,「漕賈ヲ以テ第一生産トス農商ヲ兼ネル者モアリテ富戸入交リ,瓦屋軒ヲ連ネ村立ヨキ処ナリ」とあり,江戸廻船2艘,波不知船39艘海運業が発達しており,元禄4年の船数46,入石数4,450石(知多郡史),文化13年の戎講組合船数帳によれば,当村の廻船数33,その後若干増加している前野家は尾張藩御用を勤め,回漕業者として領内筆頭であった(南知多町誌)明治11年内海村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」