ケータイ辞書JLogosロゴ 日名(中世)


愛知県>岡崎市

 南北朝期から見える地名。三河国額田郡のうち。暦応2年10月15日の丹後国光福寺長老宛足利貞氏後室上杉清子寄進状に「三かわのくにぬかたのこほりひなのやしき」を寄進すると見える(安国寺文書/岡崎市史6)。翌3年4月5日に清子の甥上杉重能は同地を光福寺雑掌に引き渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている(同前)。清子は足利氏被官上杉頼重の娘で貞氏の妻となり,尊氏・直義兄弟の生母である。日名屋敷は鎌倉期に足利氏から上杉氏に給付された所で,清子がこの時までに相続していたのであろう。矢作川の渡渉点として日名の渡しがある。天文3年11月27日の中根重次田畠売券に「在所ひなまへたかくろ」,永禄4年3月19日の京順田畠寄進状に「在所日名前」と見える(大樹寺文書/岡崎市史6)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360597
最終更新日:2009-03-01




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