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- 平岩村(近世)とは
「平岩村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 平岩村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国海部【あまべ】郡臼杵【うすき】荘のうち青江川下流左岸に位置する慶長2年太田一吉領,同5年からは稲葉臼杵藩領道尾組に所属村高は慶長2年の「豊後国海部郡津久見御検地帳」75石余,「正保郷帳」には見えず,「見稲簿」75石余,「天保郷帳」77石余,「旧高旧領」75石余天保9年の村高75石余,免5ツ4分,うち田34石余(反別2町8反余)・畑40石余(反別4町8反余),家数25・人数147,牛27(仲野文書)ミカン栽培がさかんで,臼杵藩の幕府献上ミカンは当村からも差出された明治4年大分県に所属同8年長野村ほか11か村と合併して上青江村となる現在の津久見市大字上青江のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平岩村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国土岐【とき】郡日吉郷(村)12か村のうち日吉高原の西端に位置し,村名は鎮守八幡神社横に露出した巨大な花崗岩が平らであることに由来する尾張藩付属の木曽衆山村八郎左衛門(500石)知行地村高68石余(天保郷帳)「濃州徇行記」では85石,反別田5町9反余・畑2町余中山道細久手【ほそくて】宿の加宿・助郷寛政5年の戸数44・人数125安政3年では47戸永享11年月泉正印開山,鶴ケ城主土岐頼元開基という曹洞宗開元院があり,同院は東濃に10余の末寺を有す中山道が村内を通り,鴨之巣一里塚をはじめ秋葉三尊石窟ほかの石仏も多い明治4年岐阜県に所属同8年日吉村の字となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」