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平田荘(中世)


 南北朝期~戦国期に見える荘園名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7360678]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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平田荘(中世)

鎌倉期~戦国期に見える荘園名名草【なぐさ】郡のうち古代における大屋郷の地という(続風土記)初見は正治2年2月28日付吉田経房処分状写(京大所蔵文書/栃木県史史料編中世4)で,経房から嫡子の参川守資経に譲った所領のうちに「紀伊国平田庄」が見え,当荘が公卿の吉田家の所領であったことがわかるまた本文書によれば,当荘内の経房の位田を賀茂経蔵領とし,神浪【こうなみ】郷を尼御前の一期分の知行地としている「此庄中神浪郷」とあることから,神浪郷が当荘内に含まれたことがわかる「経俊卿記」建長6年8月21日条(図書寮叢刊)には,吉田経俊の熊野参詣の際に「中村左衛門尉・平田馬允」が粮料雑事を奉仕したことが見え,平田馬允は経俊から馬1疋を与えられているまた同書の同年8月22日条や正嘉2年閏3月23日条に中村左衛門尉盛継が見え,川辺【かわなべ】や土(吐)崎【はんざき】で経俊に奉仕している中村・平田両氏は建長6年7月6日付の紀伊国守護代・惣官請文案(御影堂文書/和歌山市史4)にも見え,「中村 左衛門尉藤原盛継,平田 左馬允大中臣家宗」が鎌倉幕府御家人として署判を加えているこの2人は先の「経俊卿記」に見える人物と同一人であろう建武2年7月12日の後醍醐天皇綸旨写(柳原家記録/東大史料謄写本)には,西園寺公重に管領を認めた所領のうちに「紀伊国仲村神浪郷〈同橋本・河辺〉」が見える神浪郷が吉田家領平田荘に含まれたこと,中村盛継が平田馬允とともに,あるいは単独で吉田経俊の熊野参詣に奉仕していることなどから考えると,中(仲)村と平田荘は同じものであった可能性が高い元弘3年4月18日の護良親王令旨案(粉河寺文書/県史中世1)には,「紀伊国平田庄,所被宛行粉河寺行人等中也」とあり,討幕勢力を結集する目的で粉河寺行人に当荘を宛行ったものとみられる延元元年12月2日の大塔若宮令旨案(同前)でも引き続き粉河【こかわ】寺行人の当荘知行が認められている以後,天正13年の豊臣秀吉による紀州攻めまで当荘は粉河寺領といわれ,粉河寺旧寺領注文(粉河寺御池坊文書/県史中世1)には天正13年の兵乱まで所務した荘園の1つとして「一,平田荘〈後醍醐天皇御綸旨有,元弘三年四月十八日〉」と見えるこの粉河寺行人に宛行われた平田荘には先の「仲村神浪郷」は含まれなかったものとも考えられるなおこれらの粉河寺関係の文書については検討を要する永正18年6月29日の孫衛門下地売券(藩中古文書/国立史料館蔵)には売主として「平田上野村 孫衛門」が見え,同人は「名草郡平田之庄神ノ木ノ下」の畠1所を根来【ねごろ】寺長観房に売却している上野村が平田荘に属したことがわかるまたこの畠からは夏大麦1斗,秋大豆1斗が平田殿に納められることになっており,戦国期に当荘を基盤とする在地領主クラスの平田殿の存在が知られる現和歌山市上野・神波・楠本を中心とする地域に比定される

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平田荘(中世)
南北朝期~室町期に見える荘園名安芸国山県郡のうち平田荘は当初厳島社領寺原荘に属し,文永10年10月5日周防制多迦丸は寺原荘内平田宮荘と同荘福光名地頭職を子息親基に譲渡したこの所領は,寛元元年12月7日周防制多迦丸が養母平田女房凡氏女から譲渡されたものであり,福光名地頭職については平田六郎高信の譲状も得ていた徳治2年正月25日の左衛門尉政行請文によれば,安芸国御家人平田次郎信職により押妨されていた寺原荘内八郎丸名田が周防親基に打渡されているが,同文書には「厳島社領寺原庄内宮庄地頭親基」と記され,徳治2年7月16日の前周防守親範請文案によれば,「寺原之庄之内宮庄之地頭職」は周防親基の当知行と認められている先の平田宮荘は平田荘と宮荘のことで,寺原荘に含まれていたその後,平田荘は寺原荘から分離し,宮荘を含むことになった建武5年10月19日周防親経は「寺原庄のうちひら田のふくミつ名」を親家に譲った宮荘・福光名地頭職は親基・親政・親経・親家と周防氏に伝領された(吉川家文書)その後,貞治3年7月1日守護武田氏信は宮荘地頭職を熊谷直氏に預置いており(熊谷家文書),貞治6年10月7日平田荘内福光名地頭職を寺原安芸守に安堵した応安元年11月14日吉川経秋は,「平田庄三分一地頭職并同領家職〈大野信州知行分〉」を預けられ,「平田庄残地頭分」も康暦2年4月28日に吉川経見に預けられた同年12月25日足利義満は,平田荘内岩戸村,宮荘志知原村内石中原・福光名などの地頭職を吉川経見に安堵し,同月27日には平田荘地頭職を安堵した応永11年10月2日「平田庄内宮庄福光名」を寺原三河守が厳島社領として押領したのに対し,吉川氏の知行地と認められており,翌年12月11日山名満氏が吉川経見に宛行っている周防氏は南北朝期に没落したものとみられ,こうして吉川氏の支配が続いていく応永22年12月24日足利義持は平田内宮荘などを吉川経見に安堵し,永享12年11月12日にも平田内宮荘・同福光名が足利義教によって吉川経信に安堵されている(吉川家文書)下って,永禄6年と思われる閏12月24日の小早川隆景書状に平田と見える(長府毛利文書)また永禄12年と思われる筑前国立花城合戦敵射伏人数注文に平田ノ彦八の名が見える(吉川家文書)現在の大朝町岩戸と新庄の宮ノ庄に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平田荘(中世)
 南北朝期~戦国期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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