ケータイ辞書JLogosロゴ 拾石(中世)


愛知県>蒲郡市

 戦国期に見える地名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。永禄4年4月3日の松平元康判物写によると,「拾石・赤川分右馬助方・同孫五郎方」の100貫文が深溝【ふこうず】松平好景の弟康定に与えられている(譜牒余録/岡崎市史6)。東条城の吉良義昭を攻撃した時の功績によるもので,以前は東条領であったと考えられる。同年12月22日にも元康はこれを再確認しているが(同前),形原松平氏との間でどちらの本知行地であるかをめぐる争いを生じたらしく,同5年12月17日に元康は拾石を形原の本知行地と認めて形原松平家広へ与えた(同前)。しかし同6年6月1日の長沢松平親広・康忠にあてた元康書状写によると,長沢在城を深溝松平伊忠が同心したので「拾石・両赤(川)」は康定に与えることとし,形原へは替地を遣わすことになった(同前)。これ以後拾石は深溝松平氏領となる。「家忠日記」天正10年4月25日条に材木が吉田から拾石に着岸し,同27日に深溝へ届いたとあるように,拾石は深溝松平氏の確保する港であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360729
最終更新日:2009-03-01




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