ケータイ辞書JLogosロゴ 福重保(中世)


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南北朝期〜戦国期に見える保名尾張国中島郡のうち国衙領貞和2年12月15日の荒尾宗顕寄進状案に「中島郡福重保内十五郎名畠地事」と見え,東と北は毛受【めんじよ】領,南は富田領と隣接していた(妙興寺文書/一宮市史資料編5)同4年7月17日の荒尾宗顕売券写には「中島郡福重保内田畠事」と見え,当保内の田畠2町が三善氏女に売られている(同前)同5年8月7日の荒尾宗顕寄進状案では当保内安楽寺大門西五郎屋敷・菅大神社北方・田島の合わせて畠1町を寄進している(同前)文和2年7月日の尾張国郷保地頭正税弁済所々注進状案に「福重保 三貫四百文 同人(荒尾宗顕)」とあって,宗顕を当保の地頭として3貫400文の請所が成立していた(醍醐寺文書/一宮市史資料編6)同年10月3日・文安元年8月25日の妙興寺領坪付注文には荒尾宗顕・同泰隆寄進分として「一所弐町 福重保内」と見える(妙興寺文書/同前資料編5)貞治4年6月27日泰隆は妙興寺に当保34町内荒野河成不作など12町7反半の地頭職を60貫文で売寄進したが,これはのちに開山塔領となった(同前)応安2年8月公役納法下地等注文には「〈荒尾方〉一所福重保 六貫六百文」とあり,妙興寺は当保分国衙正税6貫600文を地頭荒尾氏を通じて醍醐寺三宝院に納入している(同前)同3年11月荒尾宗天(泰隆)は宝珠寺に寄進済みの当保内田畠3町4反を交換して妙興寺に68貫文で売却した(同前)明徳5年6月10日三善氏女等連署売券によれば宗顕から買得した保内花井二町畠を同寺元叟に売却している(同前)しかし,応永9年5月28日の尾張国目代光守注進状に守護方違乱所々として「福重内〈妙興寺知行分〉同人(給人織田左京亮)」とあり,応永10年8月13日の尾張国々衙領守護方押領注文にも「福重内……給人平尾方」とあって,当保内妙興寺知行分は,織田常竹,平尾など守護方給人の違乱を受けている(醍醐寺文書/一宮市史資料編6)その後応永年間に花井畠3町は守護又代官常竹により寺家に返付された(妙興寺文書/同前資料編5)宗顕・泰隆寄進分は長享元年頃までの同寺領坪付注文に見えるが知行の実否は定かでない(同前)正福寺門徒本尊控帳所載阿弥陀如来絵像裏書写には,明応5年6月9日の年紀とともに「中島郡福重保花井」とある(正福寺史料/一宮市史資料編6)現一宮市萩原町花井方・大和町福森あたりに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360777
最終更新日:2009-03-01




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