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- 福原新田村(近世)とは
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福原新田村(近世) 江戸期~明治8年の新田村名会津地方中部,旧宮川東岸に位置する河沼郡のうち会津藩領坂下組に属す村名の由来・成立については,阿賀川(大川)の旧河川敷,通称福河原が開発されて成立(会津坂下町史)という説と,元和9年の開発で,福原嘉左衛門の新墾により成立した(新編会津)という説がある村高は,寛文9年660石余,文化15年の村日記(県史10下)では780石余,「天保郷帳」694石余,「旧高旧領」709石余化政期の家数42軒(新編会津)神社は八雲神社寺院は浄土宗徳正寺福原堰は肝煎佐瀬氏が宮川の上開津から開削したもの明治4年の戸数42・人口223同8年下新田村と合併して福原村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」