ケータイ辞書JLogosロゴ 福森村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国中島郡のうち。尾張藩領。北方代官所支配。村高は,「寛文郷帳」151石余,「天保郷帳」152石余,「旧高旧領」257石余。「寛文覚書」によれば,概高は251石余,反別は田6畝余・畑15町余,家数35・人数215,馬11。美濃路起宿の加助郷村。天保12年の村絵図によると,147石余が木村善助ら6人の給知,ほか本田104石余・新田5石余は蔵入地。村収納覚帳によれば,安政4年から明治2年の間給人に納めた年貢は,金納と現物納であるが麦の占める割合が多く,ほかに木綿10斤・大豆1石・小豆3升が現物納となっている(一宮市史資料編10)。慶応2年は凶作で蔵免が2ツ2分9厘に対し,3分高の2ツ5分9厘の取立になって米麦の大部分が現物納であった。木綿は繰紛綿,中入綿として給人に買い上げられている。神社は,白山社・稲荷社。稲荷社は,礼讃寺近くに弥左狐という老狐が棲み,村人の願いを叶えたので供物が絶えず,のち伏見稲荷を勧請したと伝えられる。寺院は真宗大谷派礼讃寺。明治7年の戸数53うち農家41・商工業兼農業12,このうち工業は縞木綿を織る機屋であったと思われる(同前本文編下)。同22年日光村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360809
最終更新日:2009-03-01




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