ケータイ辞書JLogosロゴ 船橋(中世)


愛知県>稲沢市

 南北朝期から見える地名。尾張国中島郡のうち。延文4年2月15日付円光寺住持宗暁置文に栄林庵領として「大〈船橋田〉重元方寄付矣」が見え,また「船橋安楽寺」が滅宗和尚に付されている。永和2年円光寺天瑞塔領注文には「船橋池役」とある(妙興寺文書/稲沢市史資料編7)。戦国期には,天正3年正月24日織田信長が代官祖父江五郎右衛門らに旧木曽川分流(現日光川)の道根・横野堤(萩原古川堤)の修築を命じ,「船□(橋)」など中島郡内11郷に行わせている(氷室家文書/同前)。同11年10月29日には織田信雄が杉浦五左衛門重勝・池山四郎左衛門を奉行として当地を含む中島郡内15郷に堤築造を命じた(杉浦家文書/同前)。「信雄分限帳」には「舟橋ノ内」とあって,同13年頃には信雄の家臣吉田万兵衛の知行地250貫文があった。同18年正月28日,信雄は森勘解由らに小田原攻めのための船を舟橋・萩原・起【おこし】から徴用している(早稲田大学所蔵荻野研究室収集文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360937
最終更新日:2009-03-01




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