ケータイ辞書JLogosロゴ 保久村(近世)


愛知県>額田町

 江戸期〜明治22年の村名。額田郡のうち。「元禄郷帳」には「古は大法久村」と記される。はじめ幕府領,寛永9年刈谷藩領,慶長2年幕府領を経て,同4年からは旗本石川氏知行。村高は,慶長9年の検地帳409石余,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに409石余だが,寛永11年検地581石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに581石余。年貢率は本免5割5分,平均免4割3分余,石盛は上田14の2下り,上畑13の2下り(村々石盛免覚)。慶長9年の検地帳では反別36町余,名請人62,屋敷地持33。寛永11年の検地では反別50町余。天明4年の人数387。旗本石川氏領となると,陣屋が置かれた。曹洞宗永平寺派万福寺は,延享元年に万仭道担が現在地に開いた寺で,石川氏の菩提寺。また真宗大谷派長興寺は鎌倉期の創立といわれ,もとは天台宗顕政寺と称した。八幡宮は明治期になって9社を合祀。明治初年陣屋役人などが帰農し,指導的立場に立って教育や村政に力を入れた。明治5年保久郷学校創立。同22年額田郡下山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361070
最終更新日:2009-03-01




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