ケータイ辞書JLogosロゴ 前野御厨(中世)


愛知県>一宮市

 南北朝期に見える御厨名。尾張国葉栗郡のうち。地名としては鎌倉期から見え,元応2年4月3日の中島承念譲状案に「一所 前野 荒野 田代」と見える(妙興寺文書/一宮市史資料編5)。「神鳳鈔」に「〈内〉前野御厨」と見え,伊勢内宮領であった。享徳元年の皇太神宮神領注文写には「前野」と記されている(享徳庁宣注文/同前資料編補遺2)。なお,建武4年7月の性海寺領散在田畠注文案では,「中島郡内散在田畠等」として「一所陸畠八段〈前野村内,但田少々相交〉」とある(性海寺文書/稲沢市史史料編7)。その後,応永9年12月日の妙興寺末寺蔵田寺領坪付注文に「一所肆段 前野西縄手添」と見え(妙興寺文書/一宮市史資料編5),応永10年2月日の浄参寄進状には「合玖段者〈……在所前野前〉」と記されている(同前)。また応永10年10月日の光善寄進状には「一々(所)一段〈前野東〉」と見える(同前)。応永18年8月22日の宗深・祥金等連署紛失状には「一所壱段〈前野東〉」とある(同前)。明応7年のものと推定される年月日未詳の妙興寺領前野八町作職請文には「妙興寺領前野八町之内作職之事」と見え,同じく年月日未詳の前野郷年貢注文断簡が残されている(同前)。天正11年8月19日曽我尚祐等連署書状に「日比野ノ内前野之郷」とあり,織田信雄が坂井隼人に宛行った(酒井文書/一宮市史資料編6)。しかし,その後小牧・長久手の戦の際羽柴秀吉方に占領され不知行となったため,「信雄分限帳」によれば,海東郡「にいヤの郷」が替地として宛行われた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361221
最終更新日:2009-03-01




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