ケータイ辞書JLogosロゴ 松竹村(近世)


愛知県>江南市

 江戸期〜明治22年の村名。葉栗郡のうち。尾張藩領。北方代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに290石余,「旧高旧領」298石余。「寛文覚書」によれば,本田は概高286石余,反別は畑38町余,ほかに古川新田が概高12石余・田反別1町余あり,家数51・人数288,馬8。木曽川堤修理のための籠作り人足を出す。天保年間の村絵図によれば,本田全体が給知で,給人は間宮外記ら3人,ほかに蔵入見取所16町余がある。竹細工が盛んで,特に笊籠の名産地(地名考)。大宝2年創立という真言宗大宝院は,修験の寺で,東は春日井の内津,西は美濃の足近までを行動範囲としていた。建武年間創立と伝える竜泉寺と天明年間創立の浄念寺はともに西山浄土宗の尼寺。神社は七所社で,寛平2年の創立と伝える。明治6年研尋学校を設立,のち松竹学校と改称,同21年飛保学校へ統合された。同22年飛保村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361351
最終更新日:2009-03-01




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