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- 丸山(中世)とは
「丸山(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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丸山(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国大野郡大野荘志賀村南方のうち大野川本流と支流平井川にはさまれた東西に長い台地上にあり,中央部より西側,竹田市寄りの所に位置する現在の大野郡朝地町大字上尾塚字丸山の地に比定される丸山には丸山古墳(上円下方墳か)があり,その付近に高伏古墳・萱久保古墳などのある点から,古墳の山の形から起こった地名であろう正和5年正月29日の大野荘志賀村南方中分惣堺越田堺注文に,「一所〈丸山〉三百歩,〈東西南限西方,野畠北限筑紫尾寺田地〉」とあるのが,唯一の史料(志賀文書/大友史料4)正和3年の分け直し一円中分で,南北に引いた惣堺を越えて,西方領家分中に散在する東方地頭分の田地中に,当地も含まれる現在は平井川の谷の国鉄豊肥本線や国道57号から離れた山村であるが,近世は岡藩の参勤交代道路が山の背を東西に貫き,交通の動脈であったこうした関係は古代以来のことで,古墳の集中するゆえんである |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
丸山(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
丸山(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
丸山(中世) 戦国期に見える地名伊賀国伊賀郡のうち「家久君上京日記」天正3年5月28日条に「伊賀の内小田市といへるに関有,さて丸山といへる所に関有」とあり,街道に面したこの地に関所が設置されていたことが知られる(薩藩旧記雑録後編2)なお,近世の「伊乱記」によれば,天正7年織田信雄が「丸山に城を築き,是を根城」としたが,まもなく「丸山の城」は伊賀の国人・土豪らの攻撃をうけ,陥落したという(校正伊乱記)現在の上野市丸山に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」