ケータイ辞書JLogosロゴ 水野郷(中世)


愛知県>瀬戸市

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。尾張国山田郡のうち。水野上・水野中・水野下郷に分かれていた。永仁6年10月の尾張熱田宮領新別納郷等注文案に「水野上御厨田畠十三丁四反九十歩〈山千余丁〉」と見え,水野上郷内に熱田社領が存在した(猿投神社蔵本朝文粋巻3裏文書/鎌遺19837)。また,勅諡覚源禅師平心処斉和尚年譜略の建武3年条によると平心処斉は「濃州尾州唇歯之境,水野中郷之士与聖眼旧知也」という関係で臨済宗定光寺を当郷に開いた(大日料6‐31)。下って永正17年12月27日の小幡信忠田地売券によると「弐段」の下地が「代銭七貫五百文」で「水野定光寺悟蔵主方」へ売渡されている(松木文書/大日料9‐12)。文明〜天正年間の定光寺祠堂帳には「一,六俵 明妙因 水野上郷」「一,六俵 〈水野中郷〉永筠取次実翁常心庵主」「一,柏井雲岩(善慶)分〈水埜下郷田在〉十一月廿九日」などと散見される(定光寺文書/定光寺誌)。天正年間以降,上水野郷・中水野郷・下水野郷となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361450
最終更新日:2009-03-01




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