ケータイ辞書JLogosロゴ 溝口村(中世)


愛知県>稲沢市

鎌倉期〜南北朝期に見える村名尾張国中島郡のうち熱田【あつた】社領・円覚寺領正中2年2月15日沙弥蓮浄が鎌倉円覚寺に田畠を寄進した寄進状に「中島郡南条三宅郷内国分・溝口両村」とある当村田畠は蓮浄の先祖が開発領主として代々知行してきたもので,熱田社を本家として上分を納入するほかに負担のない所領であったという円覚寺に寄進されたのは地頭職で,建武4年7月10日には足利直義安堵御教書も受けている南北朝期には在地に押領されたこともあったが,守護施行状などを受けて事なきを得た永和3年12月11日付官宣旨に「国分・溝口両村地頭職」とあり,役夫工米等諸役が免除されている(円覚寺文書/鎌倉市史史料編2)なお,戦国期の天正13年頃には「みそ口」は織田信雄の家臣小瀬四郎三郎の知行地であった(信雄分限帳)近世には西溝口村となった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361454
最終更新日:2009-03-01




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