ケータイ辞書JLogosロゴ 三井重吉村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期の村名。丹羽郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。村高は,「寛文郷帳」1,791石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高2,536石余,田57町余・畑110町余,承応2年の新田4石余,成瀬氏自分起新田49石余(のち蔵入地),家数172・人数1,251,馬62。用水は佐野川筋560間を使用,井領米8斗余。一之宮宿の加助郷。「徇行記」によれば,成瀬隼人正の給知946石余,ほか阿部肥前ら16人の給知,給知計1,856石余,蔵入地684石余,ほかに蔵入地の新田49石余,成瀬氏受控の新田5石余,元禄7年縄入成瀬氏受控新田10石余,宝永4年縄入成瀬氏受控新田16石余。「徇行記」によれば,当村は元来2か村で村落も2区になっていたが,往古から2村を併せて一村となし,高も総括して取り扱われてきたという。同書は「三井重吉村」の中で,項目によっては三井村と重吉村を注記して書いている。なお,「天保郷帳」では重吉村に「三井村之内」と肩書きしている。のち明治元年重吉村が犬山藩領となることにより,両村は独立して扱われるようになったと思われるが,不詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361477
最終更新日:2009-03-01




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