ケータイ辞書JLogosロゴ 三谷町(近代)


愛知県>蒲郡市

 昭和29年〜現在の蒲郡市の町名。昭和29年設置の三谷出張所は同34年大塚出張所とともに廃止されて東部出張所となり,同46年に東部市民センターと改称。同56年の三谷漁協の組合員数1,075,販売実績は鮮魚23億1,000万円・冷凍製品3億2,900万円・ノリ1,800万円で,三谷魚市場では他漁港所属の漁船からの搬入が地元漁船の漁獲量の6倍以上を占め,産地市場としてよりも消費地市場としての性格が強い。昭和39年に後継者不足から沖合底引漁業が消滅し,漁獲量も6,000t台から以後1,000t台に激減。昭和29年単純炭酸鉄泉の三谷温泉が発見され,市が乃木山・弘法山麓の2か所を開発地帯として開発,大衆浴場を開業させた。同58年の旅館は20軒で3,769人を収容。昭和33年弘法山ロープウエーが開業,同34年に乃木山にプラネタリウムが建築され,観光温泉地として発展。また東前地区の埋立工事は昭和38年に15haの造成を完成し,新しい商業地区となった。また昭和37年に完成した水神地区7.2haは石油配分基地のほか,野球場・市民プールなどの施設が設置され,同40年には県営の蒲郡ヨットハーバーが完成。同49年竹島小学校開校,同年三谷駅地下道が開通。同48年一部が三谷北通となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361572
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ