ケータイ辞書JLogosロゴ 宮地村(近世)


愛知県>岡崎市

 江戸期〜明治22年の村名。碧海郡のうち。なお,慶長9年の検地帳では額田【ぬかた】郡のうちとして記される。和田12郷の1つ。岡崎藩領と犬頭社領・妙国寺領。村高は,「寛永高附」118石余,「元禄郷帳」128石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに242石余。岡崎藩領と犬頭社領は,慶長9年の検地によれば,田2町余・畑11町余,高170石余,屋敷9,名請人19。妙国寺領は,慶長6年の検地では田畑1町,高10石余,同8年の朱印状では高15石余。「旧高旧領」では岡崎藩領154石余・犬頭社領73石余・妙国寺領15石余。明和4年の岡崎藩領の田畑反別帳によれば,屋敷持8軒の平均木綿作付は1町弱,労働力総数は家族40・常雇14・日雇16。同7年の万書上帳には,農間稼として男の莚沓取,女の木綿稼をあげる。天明3年の書上帳では,家数8・竈数24・人数53。寺社は,日蓮宗妙国寺・犬頭社。犬頭社には7人の社人が置かれ,市川家が総代を務めた。明治22年糟海【かすみ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361607
最終更新日:2009-03-01




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