ケータイ辞書JLogosロゴ 妙興寺保(中世)


愛知県>一宮市

 南北朝期〜戦国期に見える保名。尾張国中島郡のうち。真清田社領,のち妙興寺領。貞和3年9月3日荒尾宗顕寄進状に「寄進 報恩寺 尾張国中島郡妙興寺同畠地等事」とある(妙興寺文書/一宮市史資料編5)。翌年の報恩寺創建に先立ち地頭宗顕が敷地として寄進したもので33町6反余からなる。同5年2月領家久我家より出された妙興寺保年貢注文によれば,定田16町9反300歩に対し糸70両・絹1疋4丈・大豆5石8斗1升6合の年貢が課されている(同前)。文和2年10月3日の荒尾宗顕・同泰隆寄進分妙興寺坪付注文案に「一所参拾参町陸段弐佰八十歩 妙興寺保〈当寺敷地〉」と見える(同前)。延文4年2月30日内大臣久我通相家寺領寄進状によれば当保領家職が妙興寺に寄進されており,当保は一宮真清田社領のうちの一宮造宮料所であったが,報恩寺が当保内に建立されて妙興寺と号するようになったため同寺へ寄進し,造宮料所には別所領をあてるとしている(同前)。同年8月7日後光厳天皇綸旨・翌5年閏4月10日久我通相家御教書により寄進は確認された(同前)。その後,文安元年8月25日の妙興寺領坪付注文に「妙興寺保〈当寺敷地〉」とあり,長享元年頃と推定される妙興寺領坪付注文にも同様の記載がある(同前)。なお,当保の成立は,平安後期〜鎌倉初期と推測される。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361649
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ