ケータイ辞書JLogosロゴ 村久野荘(中世)


愛知県>江南市

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。尾張国葉栗郡のうち。嘉元4年6月12日の昭慶門院御領目録に「尾張国村久野庄〈九条大納言入道〉」とあり,皇室領荘園で九条大納言が領家であった(竹内文平氏所蔵文書/鎌遺22661)。暦応元年11月13日付尾張国国宣案によれば,「当国村久野庄大掌(嘗)会米事」と,当荘に大嘗会用途が賦課されたが,領家の訴えで免除された(曼陀羅寺文書/一宮市史資料編6)。文和2年には「尾張国村久野庄,可令知行給之由,九条大納言入道仰所候也」とあるように,領家九条大納言から曼陀羅寺に寄進された(曼陀羅寺文書文和2年12月7日付寄進状/江南市史資料編3)。同寺は日輪山と号し,元徳元年に創建された浄土宗西山派の古刹。戦国期の天文16年曼陀羅寺祠堂年貢注文写には,「村久野与四」「村久野惣衛もん」「村久野ゝ孫左衛門」「古久野ノ孫七郎」ら当荘百姓の名が見える(曼陀羅寺文書/一宮市史資料編6)。また,「信雄分限帳」には,「⊏⊐(一,千五百貫文)〈五百貫 むらこの郷 源五殿縄 三百卅五貫 わたかつさ 同縄 右両郷相違……〉津田掃部」と記される。当郷は隣接の和田勝佐とともに,織田家家臣の津田掃部の知行地であったが,天正12年の小牧・長久手の戦の際に,羽柴秀吉方に占領され不知行に陥ったものと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361723
最終更新日:2009-03-01




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