ケータイ辞書JLogosロゴ 薬師寺郷(中世)


愛知県>岡崎市

鎌倉期に見える郷名三河国碧海郡碧海荘のうち矢作【やはぎ】川中流の沖積平野自然堤防にあったが,同川の流路変遷によって消滅永仁3年8月日の碧海荘米配分状案に熊野山日供米が賦課された碧海荘内18か所の1つとして「四石四斗七升 薬師寺郷」とある(紀伊続風土記附録十四本宮社家二階堂蔵/鎌遺18898)薬師寺は14世紀初頭成立の瀧山寺縁起にも出てくる天台宗の寺院(瀧山寺文書/岡崎市史6)貞治3年9月2日の三河念仏相承日記で建長8年10月13日に真仏・顕智らが念仏布教をした「ヤハキ薬師寺」と同一であろう(上宮寺文書/同前)三河真宗発端となる薬師寺の所在地は,矢作宿かそのごく近くでなければならない北野廃寺説もあったが,近年名鉄本線鉄橋下流の右岸寄り矢作川河床で「□師寺」などのヘラ書き文字が書かれた平瓦が採集され,その場所が薬師寺および薬師寺郷とする考えが有力視されている薬師寺や薬師寺郷が中世後期の史料に見えないのは,その場所が矢作川の流路が変わって河床になってしまったからであろう現在の岡崎市矢作町・上渡町地先の矢作川河床にあたる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7361859
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ