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- 安戸村(近世)とは
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安戸村(近世) 江戸期~明治7年の村名伊那郡のうち天竜川天竜峡へ注ぐ支流紅葉川の上流に位置する天正10年7月26日徳川家康が知久頼氏に伊那郡内の本領69か村,6,000貫を安堵した際の知久本領村書之覚に「安土村」と見える(知久文書/信史15)はじめ幕府領,元和5年旗本井上氏領,明暦3年幕府領,天保14年飯田藩領,弘化2年幕府領,同3年陸奥白河藩領となる村高は,「天正高帳」で休戸と記され27石余,「正保知行付」で安度村として27石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに25石余戸口は,延享2年3・13,寛政12年4・16,明治元年5・30副業は秋の干柿と冬期の和紙づくり道路は今田村渡場からの幹線馬路が村内北の尾根を通っていた神社は八王子社安政6年南山騒動に参加,白河領の年貢を幕府領当時の率にまで引き下げる事に成功した明治元年伊那県,同4年筑摩県に所属同7年七和村の一部となるその際,米峰村の4戸は安戸に属し,七和村の一部となった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安戸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安戸村(近世) 江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」