ケータイ辞書JLogosロゴ 矢合村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに659石余,「旧高旧領」799石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高799石余,田17町余・畑50町余,家数95・人数474,馬数18。「徇行記」によれば,家数199・人数745,馬6,野崎源五右衛門ら10人の給知772石余,蔵入地は27石,松林が四方にあり,その間に畑の入り交じる状態で,「村人農事ノ外ニ松杉苗ヲ戸々ニ栽ソタテ,処々ヘ出シ生産ノ助ケトス,此苗ハ美濃三河伊勢ノ国ヘ売ツカハス」とある。東西8町15間・南北8町5間,八神街道が通り,キリシタン制札がある。また,8戸ほど商店があり,穀物・味噌・溜りを商っていた。神社は鈴置大明神・三島宮・市神宮・権現宮・山王・若宮八幡,寺院は臨済宗円光寺・円興寺(明治19年国分寺と改称),ほかに十王堂・地蔵がある。なお,天保12年の村絵図では,村の南辺御用水傍に国分寺跡が記される。国分寺には鎌倉期作の国重文の木造釈迦座像2体,木造伝覚山和尚座像,木造伝熱田大宮司夫妻像がある。幕末頃,当村の矢合観音は多くの参詣人を集めた。藩校明倫堂の教授細野要斎の「感興漫筆」に,安政年間矢合村の農民藤四郎が持仏の十一面観音に祈念して諸病を呪して霊験が著しいとある。これは,また当村の苗木・植木商人らによって近国へも伝わり,民間信仰として現在に至る。明治22年国分村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362088
最終更新日:2009-03-01




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