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- 弓町(近世)とは
「弓町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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弓町(近世) 江戸期~明治9年の町名江戸期は山形城下のうち小荷駄【こにだ】町のうちの西部,南北の通り西は三日町に接する最上義光の時代の,弓製造業者の住居地で,職人町の1つのちに仙台街道が小荷駄町・三日町に移されると,仙台(宮城県)から運ばれた肴市が開かれ,南肴町とも呼ばれるようになった北肴町は庄内海岸の乾物を主としたが,南肴町は仙台からの生肴を主とした寛永13年の領地目録(家世実紀)の高74石5斗余「寛文印知集」には「弓町村」と見える元禄年間の屋敷数44軒,家主9,借家・店借2,人数41,小荷駄町の検断のもとに組頭・小走・升取無役6軒が置かれていた(山形城下新古銘細記/山形市史資料40)天保13年の村山石高帳および「旧高旧領」の高90石余明治9年小荷駄町に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
弓町(近世) 江戸期~明治7年の町名丸岡町の1町竹田弓町とも書く弓を司っていた武家屋敷地元禄9年以前の城下絵図では弓町はなく,西方を籠屋町,東方を南畑町と記している西方は通りの北側に牢屋があったところからこう呼ばれたのであろう天保7年の丸岡御城下絵図では牢屋は門前町に移転されて弓町となっているまた,東方の南畑町は竹田口町となっている明治初年の戸数26・人口115明治7年巽町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」