ケータイ辞書JLogosロゴ 横野(中世)


愛知県>稲沢市

 鎌倉期から見える地名。尾張国中島郡のうち。嘉禎元年真清田社領注文に「横野五丁五反三百歩」とある(久我家文書/稲沢市史資料編7)。応安2年8月日付公役納法下地等注文に「一所七反 横野〈出口〉」とあり,妙興寺末寺円光寺は地頭荒尾氏を通じて国衙領主醍醐寺三宝院に年貢350文を納入している(妙興寺文書/同前)。戦国期の天正3年正月24日織田信長は祖父江五郎右衛門らに旧木曽川分流(現日光川)の道根・横野堤を中島郡内11郷を動員して修築するよう命じた(氷室家文書/同前)。「信雄分限帳」には「よこのゝ郷」と見え,天正13年頃には信雄の家臣角田加兵衛の知行地であった。また,同18年2月1日織田信雄が小田原攻めのため萩原渡と清須間の支線道路築造を命じた際,当地からも西御堂での工事に動員された(酒井家文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362156
最終更新日:2009-03-01




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