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- 来迎寺村(近世)とは
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来迎寺村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち佐賀平野北端,金立【きんりゆう】山南方に位置し,筑後川支流巨勢【こせ】川が東南部を南流佐賀本藩領上佐賀上郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに253石余,「天保郷帳」では365石余「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」には小村に若宮原村・野田村,「天明郷村帳」には小村に若宮原・大北野・野田・一丁田・黒土原がある「葉隠」で知られる山本常朝は,元禄13年2代藩主鍋島光茂の死後から13年間当村に庵居を構えて過ごした光茂の祐筆であった田代陣基が常朝を尋ね,その談話を筆記したものが「葉隠」である金立山の前山ともいえる正現岳頂上にある正現稲荷神社は,創建年数不明,鍋島家の尊崇もあり,「正現さん」と呼ばれる「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに金立村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,金立村のうちに「来迎寺村」と見え,戸数120・人口504 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
来迎寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」