ケータイ辞書JLogosロゴ 六角堂村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。東西4町14間・南北2町24間。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに215石余,「旧高旧領」234石余うち長光寺領10石。「寛文覚書」によれば,本田の概高224石余,田2町余・畑14町余,家数19・人数89,馬3,ほかに長光寺領10石,その反別は田1反余・畑8反余。「徇行記」によれば,給知224石余で兼松銀之丞ら給人4,家数26・人数100,長光寺領は家数53・人数277。村の東境と北境を美濃路が貫通し,清洲宿の助郷村で,北隣の井之口村境に一里塚があり,ここから岐阜街道が分岐した。清洲宿と稲葉宿の中間にあたり,旅人の休息する立場となり,享保11年頃街道沿いに出町もできた。また,天明3年東隣の春日井郡落合村に清洲代官所が設置され,郷宿もあった。神社は八幡社。寺院は臨済宗長光寺があり,応保元年平頼盛の寄進で創建され,古くは法相宗で,のち真言宗を兼学,さらに臨済宗に改宗したという。同寺の地蔵堂は,六角形であることから六角堂と通称され,尾張六地蔵第1番札所。堂頂の露盤には永正7年の銘があり,堂内の地蔵菩薩立像とともに国重文。また,この地蔵は,変事を予言して汗をかくという汗かき地蔵の伝承がある。永和2年銘の鰐口は県文化財。境内には織田信長が愛飲したという臥松水という井戸,尾張藩の名筆家丹羽盤桓子の墓もある。寺の西南には安芸広島藩浅野氏の祖浅野長勝の屋敷跡と伝える浅野屋敷もある。明治13年六角堂学校設立,同17年の生徒数53(男40・女13)。同22年四家村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362286
最終更新日:2009-03-01




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