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- 鷲塚村(近世)とは
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鷲塚村(近世) 江戸期~明治初年の村名越前国坂井郡のうち坂井平野,九頭竜川下流右岸に位置する村名由来について,昔,村内の樫の大木に大鷲雄雌が住みつき,人を襲ったため,これを退治して八幡宮に祀ったという話が伝わるなお,この時,雌は河合鷲塚へ逃げたというはじめ福井藩領,貞享3年幕府領,元禄10年葛野藩領,宝永2年幕府領,文政3年からは福井藩領村高は,「正保郷帳」で1,406石余うち田方1,378石余・畑27方石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」ともに同高天保4~7年に越前・若狭両国を襲った大飢饉に関する天保飢饉録という文書が伝わるなお久保家は,九頭竜川河口の三国湊で千石船5艘を所有し,幕末には丸岡藩に金子を貸している(春江町史)神社に八幡神社・白山神社がある白山神社境内にある藤は,昭和29年県天然記念物に指定された明治初年藤鷲塚村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
鷲塚村(近世) 江戸期~明治初年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」