ケータイ辞書JLogosロゴ 合賀御厨(中世)


三重県>海山町

 鎌倉期〜南北朝期に見える御厨名。志摩国永富名のうち。弘安7年正月6日の亀山上皇院宣案(御巫家退蔵文庫旧蔵古文書/鎌遺15052)によれば,「伊勢国安濃散在,合賀・木本両島預所職」が領家の按察二品局の進止下であること,預所職が法印良宝の相伝するところであることが確認されている。同年2月には二品家政所下文(同前/鎌遺15088)をもって権律師親瑜を預所職に補任しているが,翌々年の弘安9年には「二条鎌倉法印」の下文が出され,沙弥三瀬蔵人入道実意が「志摩国長島并合賀木本御厨」の預所(雑掌の誤りか)に補任されている(御巫家退蔵文庫旧蔵古文書/鎌遺15951)。同9年,先の亀山上皇院宣中に「永富名」の名が欠落していることを理由に「甲乙土民等」が年貢を対捍したため二条法印より,内宮一禰宜に下知すべきよう奉書が下されており(同前),同10年にも年貢を抑留したため雑掌寂意は重ねて「聖断」を下されんことを訴えている(兼仲卿記正応元年□月巻裏文書/鎌遺16352)。下って,康永3年7月26日の僧良雅寄進状(櫟木文書/大日料6-8)によれば,永富名の領主職(預所職の系譜を引くか)を所持していた僧良雅が「木本・相哥」の口入所職を伊勢神宮五禰宣国行に寄進している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362369
最終更新日:2009-03-01




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