ケータイ辞書JLogosロゴ 愛田村(近世)


三重県>伊賀町

 江戸期〜明治22年の村名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,天和年間頃の平高779石余(統集懐録),寛延年間頃の本高654石余(宗国史),「天保郷帳」711石余,「旧高旧領」716石余。寛延年間頃の戸数104・人数431,馬10,牛32(宗国史)。農産物は穀物のほか,茶・真綿・漆・竹などを産する。御代村から当村にかけての加太越街道沿いに松並木があった(五街道分間延絵図)。慶安2年以降,下柘植村・上村・当村は子延【ねのび】・中柘植・野村・川東・川西・山畑【やばた】のほか多くの村々と山論を起こした。竹島玲太郎氏所蔵の「百矢弓的之事」によれば,享保3年に雨乞祈願として当村の日置神社で射弓を行った。文政4年には井堰破損修理の人足をめぐって当村と下柘植村との間に水論が起こったが,村役人の仲裁により和談が成立した(和談済状之事/愛田区所蔵文書)。寺社に,愛田日置神社・曹洞宗大慈山松栄寺・天台宗湧泉寺・真言宗蓮生寺がある。「伊水温故」によれば愛田日置神社は「信濃国諏訪郡健御名方命勧請。本宮一社,神前二十八ノ石壇,次ニ四十二,石壇有。十二ノ鳥居有」とあり,「三国地誌」には「按,神明・天王・諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清造建す。二の神石あり。一を金剛石と云,社の前にあり。一を神慶石と云,里中にあり」とある。松栄寺は,広禅寺第9世利天慶勝により慶長年間の開創と伝え,南北朝期の石造宝篋印塔(全長1.5m)がある。また,元禄10年に死去した松尾芭蕉の姉の墓石もある。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同11年柘植学校(下柘植村)の愛田分校が開設。同22年西柘植村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362376
最終更新日:2009-03-01




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