ケータイ辞書JLogosロゴ 赤木村(近世)


三重県>紀和町

 江戸期〜明治22年の村名。紀伊国牟婁【むろ】郡のうち。紀州藩領。入鹿【いるか】組に所属。南部に枝郷の大倉谷村がある(元禄郷帳)。村高は,「慶長高目録」158石余,「天保郷帳」「旧高旧領」166石余。寺は長尾村長全寺末の曹洞宗東岩山金谷寺。ほかに小祠1社(のちの赤木神社)があった(紀伊続風土記)。慶長19年大坂方に呼応して起こった熊野北山一揆に関係し,村内に処分を受けた者があった(紀伊国一揆成敗村数覚書)。文久2年から元治元年にかけて大栗須【おおぐるす】村の宮尾井秀助が私塾を開設し,また明治初年には十津川の郷士鈴木貞蔵が寺子屋を開いた(南牟婁郡誌)。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年南牟婁郡に属す。明治9年長尾・平谷両村が連合して長平学校を設立し,その通学区となったが,同10年には赤木学校が生徒数約20名で設立された。しかし,同16年廃校。同22年西山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362407
最終更新日:2009-03-01




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