ケータイ辞書JLogosロゴ 穴太御厨(中世)


三重県>東員町

 鎌倉期〜室町期に見える御厨名。伊勢国員弁郡のうち。藤原実重の作善日記(善教寺蔵,貞応2年〜仁治2年)には,彼がたびたび穴太の観音堂(穴太山多井寺)へ参詣,寄進したことが見える。永仁6年の権少僧都導覚紛失状(米良文書)に寛上坊法眼より良済への伊勢国穴太田畠譲状1通が見える。あるいは当御厨中の田畠か。「神鳳鈔」には内・外宮領上分田6町,上分米各3石,さらに内宮領として「穴太内開田六町」をのせる。「外宮神領目録」には3石。享徳元年「庁宣注文」には1石とある。下って「信雄分限帳」には「一,四拾五貫文 いなへうのう 吉田平内」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362558
最終更新日:2009-03-01




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