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- 油町(近世~近代)とは
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![]() | 油町(近世~近代) 江戸期~昭和42年の町名高岡油町とも称した高岡町本町三十五町の1つ(高岡町図之弁/高岡市史)加賀藩領慶長14~19年は高岡城下のうち高岡古城の西北部に位置する和傘の製造販売が盛んで春から秋にかけて傘が空地一帯に干されている光景は高岡の風物詩であった天明5年の家数31,明治5年の戸数73(高岡市史)当町に安置されている地蔵尊は雄神川の深淵で発掘されたもので,霊験あらたかであるとして町民の信仰が厚かった明治9年石川県,同16年富山県に所属同22年高岡市油町となる同31年油町尋常小学校新築,ついで同校に市立高岡簡易商業学校が併設同33年市立高岡甲種商業学校として新築され,翌年高岡商業学校と改称大正11年県立に移管,同13年湶【あわら】町に移る明治37年金銭貸付業藤平合資会社創業(富山県史)昭和4年の戸数113・人口596同40年の世帯数87・人口421(高岡市住民登録人口一覧表)同42年現行の高岡市京町・大町の各一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 油町(近世~近代) 江戸期~昭和45年の町名江戸期は岡山城下の1町,町人地明治11年岡山区,同22年からは岡山市の町名城下の南部,外堀の外に位置する通り筋東西の町並み東は久山町・上内田町,南は上内田町・平野町,西は平野町,北は紺屋町・久山町と接した慶安年間の城下絵図に油町とある天明8年の問屋調べでは,薪問屋など12軒があった(旧岡山市史4)貞享元年の岡山町中御検地畝高地子帳(池田家文庫)によれば,高10石余・畝数7反余,徳米10石余・口米2斗余嘉永7年の家数63,人数170うち男92・女78(旧岡山市史3)昭和7年の戸数27,人口149うち男78・女71(同前6)同45年天瀬南町・舟橋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」