ケータイ辞書JLogosロゴ 荒島荘(中世)


三重県>鳥羽市

 鎌倉期〜南北朝期に見える荘園名。志摩国のうち。貞永元年閏9月24日付の源某下文に「荒島御庄寺田一段」とあり,同地の作人に光安が補任されている。その後,元亨2年5月5日付志摩国守護代左兵衛尉某書下案,同年閏5月11日付守護代親政書下案に「荒嶋住人右衛門三郎」と見える。これら書下によれば,右衛門三郎等は4月11日夜,「弁盛通所悪志嶋蔵本并同所舎兄道妙住宅」に打ち入り,銭貨以下所持物を強盗,二見江寺住僧弁盛の訴えにより,5月5日「荒嶋地頭代」に犯人の召渡しが命ぜられており,地頭代が応じなかったものか,閏5月11日には桑原神兵衛・山田又三郎入道両人に尋問が命じられている。以後,建武元年8月22日付後醍醐天皇綸旨案写,年月日未詳(建武3年か)円応寺雑掌慈哲申状に「荒嶋庄(荒志嶋庄とも)阿具志村円応寺」,年月日未詳某紛失状に「あらしまのしようの内悪志の村」などと見える(光明寺古文書/日本塩業大系)。荘内には阿具志【あぐし】村があった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362609
最終更新日:2009-03-01




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