ケータイ辞書JLogosロゴ 石薬師(近代)


三重県>鈴鹿市

 明治22年〜昭和17年の石薬師村の大字名。明治23年関西鉄道が開通し(河芸郡史),高宮(現加佐登)駅が開設されると,旅客は鉄道を利用するようになり,石薬師宿は急速に衰えていく。また,加佐登駅へはバスが通るようになる(神戸平原地方郷土史)。明治期には産業組合・養蚕実行組合・竹林組合・沢庵組合ができる(地方発達史と其の人物)。明治41年佐々木弘綱の子信綱とその弟子達が浄福寺入口に,佐々木弘綱翁記念碑をたてた。同年上田・上野の神社を大木神社に合祀。信綱は国学者としても有名で,短歌革新運動を起こして竹柏会を設立(同前)。また,大木神社境内には明治42年から大正3年にかけて,石薬師村の各地に大小70余の石橋を私財をなげうってかけた川北元助の顕彰碑がある。主な産物は米・麦・甘藷・大根・瓜類で,大根は沢庵・切干・千切りなどに加工されて,保存食品とされた。昭和17年鈴鹿市石薬師町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362807
最終更新日:2009-03-01




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