ケータイ辞書JLogosロゴ 和泉新田(近世)


三重県>木曽岬町

 江戸期〜明治22年の村名。伊勢国桑名郡のうち。長島藩領。承応2年尾州知多郡古見の富田彦兵衛が,長島藩士桐生庄右衛門・諸戸喜左衛門の協力を得て,木曽川乱流地域の葭洲禰宜山を開発,はじめ禰宜山新田と称したが,のちに和泉新田と改めた。富田彦兵衛はのちに父忠右衛門を伴いこの地へ移住した。開発後もたびたび水害に襲われ,農民は再開発を繰り返している。村高は「元禄郷帳」719石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに760石余。安政元年長島領邑新田石高家数一覧によれば家数73・人数375(長島町誌)。木曽岬【きそざき】曲輪では加路戸・見入両新田とともに大村であった。産土神は和泉四村神社。同社は中和泉・富田子【とみたね】・富田など,富田彦兵衛が開発した4新田の総社と考えられる。寺院は曹洞宗源盛院があり,同寺は富田彦兵衛が故郷の知多郡から移基,はじめ富田家の菩提寺として源盛庵と称したが,元禄15年源盛院と改めた。同寺には松尾芭蕉の句碑がある。曹洞宗透箭寺は源盛院の和尚の開基で,弟子の一放透箭尼が護寺した尼寺。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同8年の地租改正調査による反別73町余,同16年の戸数69・人口353(桑名郡志)。明治10〜19年に鍋田川堤が完成し,集落はこの鍋田川堤および内部の旧輪中堤沿いに列状村を形成した。同22年木曽岬村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7362834
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ