ケータイ辞書JLogosロゴ 鵜方村(近世)


三重県>阿児町

 江戸期〜明治22年の村名。英虞郡のうち。鳥羽藩領。鵜方組に属す。村高は,延享3年および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,151石余。延享3年の浦役銀50匁,戸数226・人数1,121。天和元年の領主への献上品に糠(金納)59俵・すぐり藁59束・草藁50束・くず葉12俵・柿渋1斗4升・マテ貝30具・中縄・むしろ・ちがやなどがある。鎮守は地内中の河内にある八王子社で,明治2年天真名井神社と改称。ほかに熊野社もあり,正月に行われる獅子舞いは有名。また地内地獄谷にある横山石神神社は,渦見潟地域に居住していた32戸の住民が天仁元年に円城寺を建立した際,その境内鎮守神として天長竜王大明神を勧請したものという。この円城寺は真言宗醍醐寺派に属し,天照山と号し,大乗院とも称したが,明治8年に廃寺。寺伝の大乗院世代相伝由緒書は貴重な民俗資料。地内中の河内にある曹洞宗永平寺派壺福山棲鳳寺は,前身の栖住庵が廃寺ののち天和2年に創建された。この寺の隠居寺である鵜方山地蔵寺は永和2年の文書に見える古寺だが,廃寺。地内堂ケ丘には粘板岩のまんだら石が5基たつ。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同22年鵜方村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363137
最終更新日:2009-03-01




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