ケータイ辞書JLogosロゴ 内多村(近世)


三重県>安濃町

 江戸期〜明治22年の村名。安濃郡のうち。津藩領。なお,江戸期においても古代の内田郷の名を継承して当村周辺の地を内田郷と呼ぶことがあった(勢国見聞集)。村高は「文禄3年高帳」1,623石余,「慶安元年郷帳」1,636石余(うち田1,443石余・畑193石余),「天保郷帳」「旧高旧領」1,697石余。寛延年間の牛数34。文化10年の庄屋給米25俵(御領下村々庄屋給米帳)。伊勢神宮の社領10石7斗があり,納所【のうそ】村へ納めた(神田記/津市史)。天保11年の社領年貢3割7分5厘(平松楽斎日記)。寺院は,乙部浄明院末寺の天台真盛宗内田山長源寺,同宗青竜山長久寺,明応2年創建の真宗高田派光明山来照寺。神社には須賀・秋葉・愛宕社があり,のち安濃阿由太神社に合祀。産物は梅・杏・柿・粟(三国地誌)。津綟子【つもじ】生産も行う。貞享2年将軍家の露姫が紀伊中将へ結婚祝いとしての蚊帳を贈った際に製造法を調整した記録がある(津市史)。嘉永元年から明治5年まで寺子屋があり,寺子数男45・女5,僧侶多治見真竜が教示(県教育史)。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同年の戸数136,同6年の人口702(県史稿)。同10年安濃学校より内多学校が分立し開設,同14年の生徒数62,同16年安濃・内多・太田・清水の各学校を廃し存養学校を開設,同20年存養尋常小学校と改称。明治22年安濃村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363176
最終更新日:2009-03-01




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