ケータイ辞書JLogosロゴ 内保村(近世)


三重県>阿山町

 江戸期〜明治22年の村名。阿拝郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,「統集懐録」では本高256石余・平高595石余,「宗国史」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに296石余。「宗国史」によれば,家数44・人数159,馬9。藩の御用立山・御用藪があった。無足人は,藤島・内保・服部の各姓がいた。神社に通山【とぼりやま】明神祠があり,金山彦を祀る(三国地誌)。同社は,通山明神と通称される近江国甲賀郡油日村の油日神社と同じ縁起を有することから,「とぼりやま」と呼ばれたと考えられる。宇都可の翁の縁起伝説によれば,聖徳太子が同社の献じた鏑矢で物部守屋を滅ぼしたとか,大蛇を退治したとか伝えられる。寺院は浄土宗西音寺と安楽寺。安楽寺には薬師如来像,および明和2年近江国甲賀郡寺庄村の望月近江源啓明作とされる梵鐘があったが,廃寺となり,薬師如来像は西音寺へ遷座。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同22年玉滝村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363180
最終更新日:2009-03-01




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