ケータイ辞書JLogosロゴ 恵利原村(近世)


三重県>磯部町

 江戸期〜明治22年の村名。志摩国答志郡のうち。鳥羽藩領。磯部組に属す。村高は,延享3年に765石,「天保郷帳」「旧高旧領」766石余。延享3年の戸数133・人数531。志摩から伊勢への道程は,鳥羽回りより当地から逢坂峠を越え伊勢の宇治に出るのが近道であったが,約5里の山道は難路で,これを逢坂越えと呼んだ。この峠道には,「伊勢参宮名所図会」にも紹介されている矢立の茶屋があった。佐美長神社は,恵利原川の分流厳賀川の西岸にあり,内宮別宮の伊雑宮の所管社である。延喜式に「粟島在神乎多之御子神社」とあるのがそれで,別に穂落宮・高の宮・神織田御子神などとも称する。神社はほかに神津見社・須賀社・上宇気比社・下宇気比社・月読社・風宮社・船玉社・正従鼎石大神社・八幡社・春日社・御塩殿社・正月殿社・若宮八幡社・神武天皇社・刀禰殿社・白髭社・清野庭社があった。地内坊山の治高山井泉院は真言宗智積院末で,古くは七堂伽藍を備えた古刹であったが,天正年間兵火にあい,のちに小宇を建てた。明治14年の火災により,小堂を残すのみで廃寺となる。曹洞宗巌峯山地渓寺は永禄2年の開山で明治16年に頂門寺を合併した。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同22年磯部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363277
最終更新日:2009-03-01




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