ケータイ辞書JLogosロゴ 大内山村(近世)


三重県>大内山村

 江戸期の村名。度会郡のうち。大内山郷ともいう。はじめ田丸藩領,元和3年津藩領,同5年からは紀州藩田丸領。文禄3年の検地帳には「度会郡大内山村」とあり,所属が度会郡に統一された。その後,明暦年間の検地帳では当地内は駒・間弓・川口・中野・米ケ谷・梅ケ谷の6か村に分けられた。このうち梅ケ谷村は寛文年間に川口村に合併した。「元禄郷帳」ではさらに川北駒・川南駒・不土野・間弓・井良野・大津・梅ケ谷・川口・向井・中野・川北米ケ谷・川南米ケ谷の12か村に分けられ,いずれにも「大内山」と冠称されており,広域的な通称名として使用されていたことがわかる。なお,この12か村の村高の合計は252石余。しかし,「天保郷帳」ではこれら12か村を統一して再び「大内山」として記載され,村高は457石余。「旧高旧領」では当村の名は見えず,当地内は駒村・間弓村・川口村・中野村・米ケ谷村に分けられている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363364
最終更新日:2009-03-01




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