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- 大泊村(近世)とは
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![]() | 大泊村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大泊村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島の南端,伊勢湾に面して位置する地名の由来は,「知多の郡は南へ出張りたる尾の如しここをもて尾留りの転声にやともいえり」という(地名考)尾張藩領横須賀代官所支配村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに143石余,「旧高旧領」165石余「寛文覚書」によれば,概高164石余,反別16町余(田3町余・畑12町余),家数76・人数448,牛馬8天神社,曹洞宗宝珠寺,浄土宗意徳院がある「徇行記」によれば,全村蔵入地,家数98・人数424,「此村ハ海浜ニ民家建ナラビ,少高ナレド戸口多シ波不知船15艘,百二十石積モ一艘アリ」とある明治11年山海村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大泊村(近世) 江戸期~明治10年の村名羽茂【はもち】郡のうち佐渡ケ島南西部の海岸沿い幕府領村高は,「天保郷帳」137石余元禄7年検地帳では田6町余・畑9町余当村の草分けは福永・清水・仲間・猪股の4家と伝え,蛸石の権利を独占し,小物成として大蛸3頭分を銀納した「巡村記」では,天保12年の家数18・人数127,高137石余,田5町余・畑9町余,取米42石余,羽黒権現があるなお,出羽国羽黒の祭神が当村への渡海中,船底に穴があいたが蚫が穴をふさいで無事到着したとの伝承により,蚫を食べないとの禁忌がある明治10年三瀬村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」