ケータイ辞書JLogosロゴ 大仰村(近世)


三重県>一志町

 江戸期〜明治22年の村名。一志郡のうち。津藩領。村高は,「文禄3年高帳」では大仰・石橋・其倉3か村あわせて820石余,「元禄郷帳」654石余,「天保郷帳」694石余,「旧高旧領」720石余。寛延4年の戸数146・人数645,馬5,牛27(宗国史)。用水は西部に大仰・石橋井堰があり,溜池は山口に大池がある。雲出川井と溜池による灌漑面積の比は約8対2。初瀬街道は雲出川大仰の渡しで川原にある大仰の宿に入る。大仰宿は明治初年頃まで関西方面からの参宮道者でにぎわった。神社は豊宇気比売神社,寺院は誕生寺・成福寺・浄泉寺がある。誕生寺はもと華香寺と称し,明応4年真盛の遷化直後に創建,明治14年に寺号を改称。成福寺は真盛の叔母盛善尼により享徳元年の創建。両寺とも天台真盛宗。浄泉寺は真宗高田派。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。明治7年大仰学校設立,同19年明倫小学校と改称。明治8年の戸数126・人口630,小船10・人力車7・荷車3・牛馬36,物産は米・糯米・裸麦・藍葉・菜種・薪(大仰村地誌取調帳)。同12年当村ほか3か村(井生・井関・石橋)連合戸長役場を当地におく。同22年大井村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363490
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ