ケータイ辞書JLogosロゴ 大仰(近代)


三重県>一志町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ大井村,昭和30年からは一志町の大字。明治22年の戸数143・人口654,田63ha・畑18ha・山林その他181ha。明治以降関西線・参宮線の開通以後は関西方面よりの参宮道であった初瀬街道は次第に寂れ,明治27年奈良県大和宇陀郡と奥一志・家城・久居・当地を結ぶ新初瀬街道が開通した。これによって雲出川沿いの俗称井生崖の難所と従来徒歩でしか登れなかった谷戸坂が開削され,一志郡を東西に結ぶ幹線道路が地内を縦走することになった。また雲出川の水運についても,新初瀬街道開通までは雲出川沿いの木材や雑貨は舟や筏によって同川を往来したものが多く,当地はその中継地にあたり,三重県の川下税徴収の詰所もあった(明治39年三重県令)。大正10年中勢軽便鉄道が当地まで開通,誕生寺・大仰・片山の3駅ができ,津・久居方面にも利便の地となった。昭和28年の台風13号,同34年の伊勢湾台風の被害は甚大で,特に向川原・村出は全戸浸水,道路は決壊,田畑は冠水,大仰・片山両橋は決壊するという惨状を呈した(一志町史)。世帯数・人口は昭和30年172・882,同38年170・780。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363491
最終更新日:2009-03-01




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