ケータイ辞書JLogosロゴ 大堀川新田(近世)


三重県>明和町

 江戸期〜明治22年の村名。伊勢国多気郡のうち。はじめ鳥羽藩領,延宝8年幕府領,天和元年再び鳥羽藩領,享保11年3月再び幕府領,同年5月からは八田藩領。村高は,「天保郷帳」68石余,「旧高旧領」101石余。大淀村入合記録によれば,貞享2年尾張国から渡航した善兵衛が冨山六右衛門・辻浄知の2人の地主を説得し,鳥羽藩主に願い出て開発したという。集落は2つに分かれ,東の集落を東新田,西の集落を西新田と俗称した。開発時の家数は,尾張国から移住してきた数戸。砂壌土で黍・豆などを作り,蚕業も盛んであった。水田もあったが,絶えず海水の浸水により塩害があった。海水の浸食を防ぐため防風林を植え,堤防を築き,また隣村と共同で海防につとめた。神社は稲荷神社,境内社に津島神社・八幡神社・海神社・山神社,ほかに金刀比羅神社があり,寺院はない。名主は後藤家が世襲。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同年大淀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363516
最終更新日:2009-03-01




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